わいわい淀屋

こんばんは。

今日もすっきりしない天気の1日でしたね。

皆様はどんな連休を過ごされたのでしょうか??

 

 

三連休中日の昨日、倉吉市明倫地区では毎年秋の恒例イベントわいわい淀屋が開催されました。

このイベントは地域を盛り上げることを目的に、地区内各所で様々な団体が店や催し物の出店を行っています。

その様子を皆様にご紹介したいと思います。

 

 

 

まずは倉吉淀屋。

こちらでは鳥取大学の学生による淀屋物語の紙芝居やカフェ、ウォークラリーが行われました。

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カフェの受付の様子。淀屋の向かいにはこの時期ならではの焼き芋もありましたよ(*^^*)

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淀屋から西に向かって歩いていくと…。

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年一度この日しか公開されない丸井邸には素晴らしい庭園と茶室があります。

中が気になる方は来年をお楽しみに!

 

 

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そして広い駐車場には子供たちが。

ここでは子供たちが手作りのゲームを楽しんでいました。

 

 

 

歩道にも子どもたちがちらほら。

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これは「きつねの小判」と題した企画で、落ち葉を指定の袋に一袋集めたら50円の小判と交換でき、この小判はこの日、地区内に出店している店や催し物でお金の代わりに使えるというものです。

朝早くから落ち葉を集めてたくさんの小判を持っている子もいました。

 

 

 

ぼうしでは鳥取大学の学生が地区の昔の写真のパネル展示や子供たち向けの企画を行いました。

こちらもたくさんの人で賑わっていました。

 

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普段ゲストハウスとして使っているこちらでは今日限りのカフェ。

手作りのスイーツとドリンクを頂きました。

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そして明倫地区を端まで歩き、河原町へ。

ここでは地域住民の方々がおしるこや野菜などを売っていました。

野菜は午前中に完売。大盛況だったようです。

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明倫AIRプロジェクトは河原町の桃林工房にて9月に行った舞踊劇の公演の写真と映像の展示を行いました。

場の雰囲気で写真の感じも違って見えたりして面白かったです。

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全てをご紹介で来ていませんが、他にも様々なお店・催し物がありました。

雨の中でしたが、たくさんの方々にお越し頂き、明倫地区が少し元気になったような気がします。

少しずつこの活動の輪が広まってもっと楽しいイベントになると嬉しいですね(*^^*)

 

来年は晴れますように!

 

【円形校舎物語12】 昭和31年設計の円形校舎

昭和31年に坂本鹿名夫が設計したの円形校舎は10棟です。そのうちの3棟が現役、2棟が現存、5棟が解体されています。

<現 役>
大阪市 清風高校 S31.4設計 S32.3完成
195604 清風学園2 大阪市(坂本鹿名夫)

江別市 江別第三小学校 S31.6設計 S32.6完成
江別第三小学校


羽曳野市 誉田中学校(こんだちゅうがっこう) S31.8設計 S32完成 H27までに解体予定
誉田中学校


<現 存>
北海道幌加内町 旧朱鞠内小学校(きゅうしゅまりないしょうがっこう)
        S31.8設計 S32完成 現在は宿泊施設「ふれあいの家まどか」
朱鞠内小学校

小樽市 石山中学校 S31.9設計 S32完成 H14廃校後使われていない
195609 石山中学校 小樽市(坂本鹿名夫)

<解 体>
大阪市 四天王寺学園 S31.1設計

 写真なし

習志野市 津田沼小学校 東校舎 S31.5設計 S32.3完成 H24解体
            西校舎 S32.9設計 S33.9完成 H24解体
195605 津田沼小学校1 習志野市(坂本鹿名夫)


大阪市 北陽商業高等学校

 写真なし

神戸市 布引中学校 S31.11設計 
195611 布引中学校 神戸市(坂本鹿名夫)

和歌山県日高町 日高中学校 S31.12設計 S33.3完成 
195612 日高中学校 日高町(坂本鹿名夫)

【円形校舎物語10】 世界に紹介された円形校舎

昭和29年(1954年)アメリカのライフ誌に、山崎学園富士見中学校の円形校舎とその設計者である坂本鹿名夫が4ページにわたって紹介されました。
 その後、円形校舎の記事はヨーロッパの雑誌にも転載され、イギリスの雑誌には詳しい視察報告が載り、オランダの建築展には写真が大きく掲載され、各国から問い合わせが多く寄せられたといいいます。

山崎学園ライフ誌

【円形校舎物語9】 円形校舎の誕生

戦後、学校施設の戦災からの復興が進まなかったことや、急激な子供の増加により、校舎の不足が深刻化していました。また、各地で応急的に建設された粗悪な設計・施工の木造校舎が台風のたびに被災するなどの問題も起こっていました。

 文部省はこうした状況を受け、鉄筋コンクリート造校舎の基準作成に取り組み始め、東京都では西戸山小学校がモデル校として指定され、研究が進められます。

 坂本はこの作業に関わり、この時、これまで学校建築では一度もなかった円形の校舎を提案しました。

 坂本の案は、円形校舎2棟を矩形(くけい)の体育館で連結する、いわゆる眼鏡型の円形校舎だったのですが、奇抜すぎるとして取り上げられず、昭和25年(1950年)にまとめられた校舎の標準設計では、南側に教室が並び北側に廊下のある矩形の建物が採用されました。

 その坂本が実際に円形校舎に取り組んだのが、昭和27年、大成建設在職時に石川県金沢市にある金城高校(現 遊学館高校)の設計でした。

 ただ、この時も坂本が当初提案した眼鏡型の円形校舎の設計が実施段階で変更され、単独型の円形校舎(昭和30年完成)となってしまい、坂本にとっては不本意な結果に終わったようです。

 その後、坂本は昭和29年(1934年)に独立し、同じ年に円形校舎の実質的第1作目となる東京都練馬区の富士見中学高校の円形校舎を発表し、世間の注目を浴びることになります。

195303 金城高等学校<遊学館高校>2 金沢市(坂本鹿名夫)

金城高校(現 遊学館高校)で実現したかった眼鏡型の円形校舎の原型模型

【円形校舎物語8】 円形校舎と倉吉市庁舎 - 坂本鹿名夫と丹下健三 -

昭和34年(1959年)に発刊された「円形建築 坂本鹿名夫作品集」に、当時東京大学助教授だった丹下健三(大正2年(1913年)9月4日生)が推薦文を寄せています。

後に「世界の丹下」と言われ海外でも有名になる、丹下は広島平和記念公園・資料館、旧東京都庁舎などについで、昭和32年(1957年) 44歳の時に倉吉市の市庁舎を手掛けています。

坂本が倉吉市の旧明倫小学校の円形校舎を建築したのは、その2年前の昭和30年(1955年)44歳の時です。
どちらも新進気鋭の建築家として、世の注目を浴びるようになった初期の頃の貴重な作品です。

P 1958 坂本&丹下<フラー氏歓迎パーティー>
バックミンスター・フラー氏の歓迎パーティーにて
 左から2人目が丹下、右から2番目が坂本 昭和35年(1958年)>

丹下健三 推薦の言葉
<丹下健三の推薦のことば 「円形建築 坂本鹿名夫作品集」より>

倉吉市庁舎 丹下健三
<倉吉市庁舎(S32)と丹下健三>

旧明倫小学校円形校舎 坂本鹿名夫
<旧明倫小学校円形校舎(S30)と坂本鹿名夫>

えん結びプロジェクト

旧明倫小学校円形校舎の保存活用を望む会
〒682-0864
鳥取県倉吉市鍛冶町1丁目2825
「活動準備室ぼうし」内