【円形校舎物語8】 円形校舎と倉吉市庁舎 - 坂本鹿名夫と丹下健三 -

昭和34年(1959年)に発刊された「円形建築 坂本鹿名夫作品集」に、当時東京大学助教授だった丹下健三(大正2年(1913年)9月4日生)が推薦文を寄せています。

後に「世界の丹下」と言われ海外でも有名になる、丹下は広島平和記念公園・資料館、旧東京都庁舎などについで、昭和32年(1957年) 44歳の時に倉吉市の市庁舎を手掛けています。

坂本が倉吉市の旧明倫小学校の円形校舎を建築したのは、その2年前の昭和30年(1955年)44歳の時です。
どちらも新進気鋭の建築家として、世の注目を浴びるようになった初期の頃の貴重な作品です。

P 1958 坂本&丹下<フラー氏歓迎パーティー>
バックミンスター・フラー氏の歓迎パーティーにて
 左から2人目が丹下、右から2番目が坂本 昭和35年(1958年)>

丹下健三 推薦の言葉
<丹下健三の推薦のことば 「円形建築 坂本鹿名夫作品集」より>

倉吉市庁舎 丹下健三
<倉吉市庁舎(S32)と丹下健三>

旧明倫小学校円形校舎 坂本鹿名夫
<旧明倫小学校円形校舎(S30)と坂本鹿名夫>

【円形校舎物語7】 円形にこだわった建築家 坂本鹿名夫

坂本鹿名夫は、明治44年(1911年)7月21日東京で生まれました。

鹿名夫という風変わりな名前は、父親が知事を務めた鹿児島県と市長を務めた名古屋からとられたそうです。ちなみに永井荷風は従兄、高見順は異母兄にあたります。

東京工業大学建築学科卒業後、昭和12年に大成建設に就職しました。戦時中の海軍技術将校を経て、昭和29年1月大成建設を退職し、坂本鹿名夫建築研究所を設立しました。

東京工業大学の卒業研究でも円形の飛行場を設計するなど、円形建築にこだわり、その経済性、合理性を主張し、円形校舎、円形病院など全国に100以上の円形建築を手がけていきました。


坂本鹿名夫肖像

【円形校舎物語5】 昭和30年の円形校舎 まだまだ現存・現役

坂本鹿名夫は昭和30年に11の円形校舎を設計しましたが、そのうち現存しているものが5つあります。
そのうち、旧明倫小学校・浜井場小学校以外の校舎を紹介します。

▼神戸市
美野丘小学校(当時は摩耶小学校分校)
S30.4設計・S31.1完成 現役
195504 摩耶小学校分校<美野丘小学校>1 神戸市(坂本鹿名夫)

▼最近の様子
195504 摩耶小学校分校<美野丘小学校>3 神戸市(坂本鹿名夫)



▼奈良市
学校法人帝塚山学園帝塚山中学校高等学校6号館(左側)
S30.6設計・S31完成 現役
195506 帝塚山学園第1期<左側>1 奈良市(坂本鹿名夫)
<坂本鹿名夫作品集 円形建築>

最近の様子→ひろの東奔西走!?

▼ 武蔵野市
学校法人日本赤十字学園
S30.11設計 現存
195511 武蔵野赤十字高等看護学院1 武蔵野市(坂本鹿名夫)
<坂本鹿名夫作品集 円形建築>

最近の様子 → アクトデザイン凛太郎のブログ

【円形校舎物語4】 今でも現役 飯田市浜井場小学校 S30~現役

浜井場小学校円形校舎

昭和30年に坂本鹿名夫は11の円形校舎を設計します。
その30年の作品の中で倉吉の旧明倫小学校円形校舎の次の作品が飯田市の浜井場小学校です。

浜井場小学校は、昭和30年3月設計、9月15日完成、9月20日竣工ということで、明倫小学校のほうがほんの少しですが早くできています。(旧明倫小学校は昭和30年2月設計、9月5日完成、9月8日竣工)

浜井場小学校 南信州新聞記事


確か平成17年に耐震調査を行ったとのことですが、補強は特に必要なかったようで、現在でも現役の校舎としてそのまま使われています。