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平日版は『ニュースJAPAN』が優先されるためこの時から時間短縮を余儀なくされ、セ・リーグ(特に巨人戦や阪神戦)では従来の解説と実況付きのスタイルで放送する一方で、重要度の低い試合は試合内容を大まかに伝えるのみという内容になっていった。また緊急時や重大ニュースが入った場合は大幅に放送時間をカットされることもしばしばあった。しかし、ニュース番組にインサートされたことと、ベテランアナウンサーの福井謙二の起用により、1993年度に見られたバラエティ化路線は影を潜め、スポーツ情報をストレートに伝える形式となった。1995年から平日は西山喜久恵が福井の横に座るようになり[20]、ダジャレや親父ギャグを連発する福井を西山が絶妙に歯止めをかけ、あうんのキャッチボールで番組にほのぼのとした雰囲気を作り出した[20]。共に広島出身で熱狂的な広島ファンでもあり、カープの話で脱線もあったが、1999年まで4年間続いたこのコンビの時期が『プロ野球ニュース』の歴史の中でも最も安定感のある放送だったといえる[20]。, それでも、福井は「(ニュースJAPANに内包されてから)独立感がなくなっていたのは寂しかったですね。あの頃には、“プロ野球ニュースも曲がり角に差しかかっているな”と感じていました。」と番組の放送時間の縮小に伴って、プロ野球ニュースの存在感の低下を意識していた[21]。, 翌1995年に『スポーツWAVE』終了に伴い、週末のみ再々独立。その後日曜放送分は、1997年4月に『Grade-A』放送(このため毎週日曜日の同枠には『新ボキャブラ天国』が放映された)のためいったん終了するも、半年で復活。ストレートニュース形式の平日とは打って変わって、パンチ佐藤、長嶋一茂、大久保博元などマルチな活躍が目立つ解説者や木佐彩子(後の石井一久夫人)、中村江里子、大橋マキなど人気女性アナウンサーの個性を前面に出した構成で再びバラエティカラーが強まった。, 2000年4月から平日分も『ニュースJAPAN』の1部と2部の間に挟んだサンドイッチ方式の形で実質再々独立し、同年4月から12月いっぱいの間は『プロ野球ニュース2000』のタイトルで放送された(2001年1月以降は元に戻した)[注 6]。しかしこの頃になるとプロ野球人気に陰りが見え始めプロ野球以外の内容に割く時間の方が多くなり、フジテレビ内部でも「もうプロ野球がスポーツニュースの筆頭に来る時代じゃない」の声が浮上し始めた。, そして2001年3月で地上波版終了(事実上2度目の放送打ち切り)。第2期時代は25年の歴史に幕を閉じた。その後『感動ファクトリー・すぽると!』に移行する。主な背景としては、プロ野球人気の低迷でメジャーリーグやサッカー(欧州、W杯)や格闘技(K-1、PRIDE)などにも重点を置くようになったことが挙げられる。, 『プロ野球ニュース』の制作スタッフで、後に『すぽると!』のプロデューサーを務めた岡泰二は『すぽると!』への移行について「そのときスタッフの頭の中にあったのは、もうプロ野球だけではスポーツニュースとして視聴者を満足させられないんじゃないかという思いでした。それで、思い切ってプロ野球ニュースという看板をはずしもっといろいろスポーツ情報を均等に扱える土壌を作ったんです。」[22] と当時の様子を話している。, また、週末担当として8年間キャスターを務めたみのもんたは自身が1988年3月に卒業した後の状況について「ちょうど(野球以外も含め)スポーツの多様化とか言われるようになった頃で、『プロ野球ニュース』でもいろんなスポーツを取り上げるようになっていった。番組タイトルと内容が一致しなくなっていった面はあったと思う。だから局のほうも番組を一新したかったんじゃないかな。」とその後の番組内容の変化や、それに伴う『すぽると!』への移行について、後年語っている[要出典]。, 番組終了の背景としてはプロ野球以外のスポーツ選手の一部から「プロ野球ニュースという番組名の番組に、なぜプロ野球選手ではない自分が協力しなければならないのか」との理由で、インタビューなどを断られることが増えてきたこと、女性キャスター3人(宇田麻衣子、荒瀬詩織、大橋マキ)の退社がほぼ同時に決まるという異例の事態で、大幅なリニューアルを迫られたことも影響したと言われている。, 2001年3月31日放送の最終回ではその日のプロ野球全試合の詳報やその他のスポーツ情報を伝えた後、番組終盤で25年間の地上波時代第2期を振り返る映像を流した。またダイエーの王貞治監督(当時)や、当時ヤクルトの選手だった古田敦也・石井一久(2000年に木佐と結婚)からのビデオメッセージも放送された(古田は「うちの嫁さん(中井)もこの番組で育ってきたから、寂しい」とコメントし、石井は「この番組に出演することは、一番のステータスだった」とコメントした)。そして、エンディングでは、後継番組『すぽると!』の紹介が行われ、三宅や週末版メインキャスターを務める佐野瑞樹・内田恭子両アナが挨拶を行い、意気込みを語った。最後は三宅が「『プロ野球ニュース』を25年間応援していただき本当にありがとうございました」と視聴者に感謝し、地上波時代の歴史に幕を閉じた。, 番組は開始当初から前半のネットセールススポンサー6-8社と、後半のローカルセールスとに分かれており、提供表示されるスポンサーは原則一律で30秒のCMを提供していた(ローカルセールスの一部地域は除く)。ネットセールスとフジテレビのローカルセールスでは1988年3月まで全スポンサーとも読み上げがあったが、4月以後はスポンサーの読み上げは省略され「ごらんのスポンサー」扱いとなった(後の『すぽると!』でも一部の曜日を除きスポンサーの読み上げはされていない)。, 特に、資生堂は番組オリジナルのインフォマーシャル(生コマーシャルではない)「ナイト・イニング」を送り、宍戸錠出演でコラムと男性化粧品の紹介が行われていた。, 地上波での放送終了を受け、2001年4月からスカイパーフェクTV!(後のスカパー!プレミアムサービス)、スカイパーフェクTV!2(後のスカパー!)のフジテレビ739(後のフジテレビONE スポーツ・バラエティ)で新生「プロ野球ニュース」が始まった。(2009年以降は題名の後に西暦を付記する〈2011年の場合は『プロ野球ニュース2011』〉[注 7])。, CS移行時に佐々木信也がキャスターに復帰し、佐々木を含め解説者がキャスターを務める形式に変わった。曜日別の担当キャスターが不在の際(地上波『すぽると!』などへの出演の都合で出られない時)は、他の解説者が司会を務める(平松政次、谷沢健一、高木豊ら)。佐々木信也が週末のキャスターを担当していた時期には、佐々木不在時の代役として福井謙二が出演することがあった。さらにCS移行によって、地方局のアナウンサー・解説者(フジテレビと兼務している者は除く)は出演しなくなった[注 8]。2007年から、一部曜日を除き、司会ペアリングは男性は番組解説者、女性はフジテレビのアナウンサーを原則とするようになった。ただし女性がフリーアナウンサーであったり、男女ともフジテレビのアナウンサーの場合もある。2011年度の土曜・2012年度の日曜のみ、形式上の司会は関根潤三とアナウンサーのペア(2011年度・田淵裕章、2012年度・松村未央)となっていたが、実際は司会席にはアナウンサーが1人で担当し、関根は「ご意見番」という位置づけで他の解説者と同じコメンタリー席(右端。実際には司会席とコメンタリー席の中間)に陣取っていた。2012年(谷岡慎一)以後、土曜日の司会は原則として男性アナウンサー1人で担当する(まれに解説者1人で担当する日もある。2014年度は他の曜日と同じように男女ペアになることもあった)。2013年以降、関根はレギュラーシーズン中は毎月最終日曜日と開幕直前SPと年末反省会SPに「ご意見番」として出演していた。, プロ野球中心のスポーツニュース番組だったフジテレビ時代とは違い、CS移行後はプロ野球専門番組となった(一時期メジャーリーグの日本人選手の成績を伝えていた)。プロ野球の試合がある日は毎日放送されるが、オフシーズンは原則週1回の放送になる(2008年はオフシーズンの放送を休止)。試合解説のVTRは、権利関係の問題からフジテレビおよび系列局が収録した試合を除いてJ SPORTSをはじめとするCS放送局の映像を使うことが多く、そのため当初は実況時のテロップやアナウンスが載ったまま放送されていた。その後実況アナウンスが入った試合映像はなくなったが、テロップについては一部球団の試合映像でいまだに載ったままになっている。, 解説には主にフジテレビ解説者が登場するが、土橋正幸や笘篠賢治などフジテレビ及び系列局専属ではない、またはかつて専属だった経験がある解説者[注 9] も度々登場する。フジテレビ専属解説者でありながら、江本孟紀は初期に出演していたものの、それ以降は2015年まで出演せず、『すぽると!』で解説を務めるのみとなっていた。地上波時代までは出演していたにもかかわらず、CS放送に移って以降出演しなくなったのは「ギャラが安いから」(本人の弁[要出典])というのがその理由である。2016年4月1日で『すぽると!』が終了となり、2016年シーズン(2016年3月24日放送・開幕直前SP)から本格的に解説に復帰した。2014年から2018年までフジテレビ専属解説者であった石井一久も当番組には出演せず、『すぽると!』のみ出演していた。2016年4月以降も後継番組の『スポーツLIFE HERO'S』のコメンテーター(日曜日版)と『ユアタイム』のコメンテーターを務める傍ら、NHK BS1の『ワールドスポーツMLB』の土曜日版コメンテーターに出演していた。2016年3月時点で当番組及び『すぽると!』の両方に出演していたのは高木豊のみであった。地上波時代まで出演していた豊田泰光は『プロ野球ニュース』の地上波撤退に抗議し、後継番組『すぽると!』出演には応じず、結局フジテレビ解説者を降板する引き金となった(2002年度までは本数契約という形でまれに出演する場合があった)。, 2006年5月12日から2007年シーズンまで、FODにおいて有料配信があった(1回分105円、または月1,050円)。2006年シーズンのみは巨人(日本テレビ)・横浜(TBS)主催試合の映像に関する部分は両球団からの著作権許諾が開始当初得られなかったので配信されなかった。, 2009年4月からのフジテレビCSチャンネルの再編に伴い、放送チャンネルがフジテレビ721の後継である「フジテレビTWO」に移行した。これにより、プロ野球パックのみ契約している場合は「フジテレビONE」での再放送(翌日昼)以外視聴できない状態となった[注 10][注 11]。この状態は、2010年度に初回放送がフジテレビONEに変更となったことにより解消された(フジテレビTWOでは翌朝再放送の1回となったが、2011年以降は再放送していない)。, 通常時(公式戦中)の放送スタイルとしては原則、MCの他に解説者2名、アナウンサー4名が出演する(アナウンサー4名体制のため、最大2名は2試合担当する)。重要な試合(原則セ・パ1試合ずつ)は特集コーナー「Zoom Upゲーム」と称して解説付きで伝えられる(特に、勝敗を分けた場面については「解説者の熱視線」[注 12] として、そのシーンをノーカットで紹介し、解説者が多角的に分析を行う。残りの試合はアナウンサーのみで試合内容を伝える。試合VTRを終えると、その試合についての感想や注目点について出演者全員で質疑応答が行われる。なお番組の終わりに、翌日(試合がない場合は次の開催日)の試合カードと、CSでの放送スケジュールが発表される[注 13]。, オールスター・日本シリーズのみならず、レギュラーシーズンやポストシーズンにおいても1試合しか行われない場合はその試合の解説者を2名にすることもまれにある)。オールスターでは解説者3名に増員し、1 - 3回、4 - 6回、7 - 9回で、それぞれ分担。日本シリーズでは解説者2名で前半部と後半部の分担。CS番組の特長を活かして、解説者のコメントの比重を高めて地上波の『すぽると!』とは差別化を図っている[注 14]。, 試合数が極端に少ない日(1 - 2試合以下)である場合は、ある特定のチーム[注 15] や選手を題材にした特集や、交流戦の全日程終了後には「投手のヒット集」などの企画をすることがあるほか、8月か9月には「モルツ球団」(プロ野球OBによるチーム)のエキシビションゲーム「モルツドリームマッチ」を通常の試合速報フォーマットに沿って特集することもある[注 16]。, 2012・2013年度は、初回生放送が23:00-24:00、再放送は当日深夜(翌日未明)1:00 - 2:00、翌日6:00 - 7:00、翌日12:10 - 13:10となっている。また、NOTTVでの同時生放送を開始した(再放送は翌日7:00 - 8:00)。公式戦開催がない日(あらかじめ最初から組まれていない場合。主に月曜日と交流戦の第2試合の翌日)は前日(前々日)の放送分をリピートする。予備日の復活開催が発生した場合は放送されないか、交流戦の場合前日再放送を休止して当日の生放送か撮って出しとなる場合もある。SWALLOWS BASEBALL L!VE(ヤクルト主管試合中継)や野球道 (フジテレビ系列)(巨人ビジター試合のうち中日・阪神・広島戦の中継)が延長となり当番組初回生放送開始時間までに終了しなかった場合は途中飛び乗りまたは放送休止となる場合がある(翌日未明と朝・昼の再放送は番組開始から放送される)。, 番組内で野球シーズンに流れる「今日のホームラン」のタイトル映像は、地上波時代からものが使用されている。そのため、2009年4月のチャンネルHD化後もこの部分のみ両サイドに黒枠が出ていたが、2011年シーズンからは、「16:9」に編集されている。, 日本シリーズ終了後のシーズンオフからキャンプ・オープン戦にかかる年度下半期は2008年度(この年はオフシーズンの放送なし)を除き、週1回更新(2007年まで土曜日23時、2009年以後は月曜23時の初回放送のみ生放送、以後随時再放送)という体裁をとっている。2007年までのオフシーズンは佐々木信也の司会であったが、2009年以後は司会者はシーズン中の曜日に関係なく毎週ランダムで交代出演する。シーズンオフは現役選手をゲストに迎えるほか、年末の最終放送は3時間にわたるシーズン総集編(解説者総出場による「年末大反省会」)が行われている。そしてシーズンオフバージョン最後となる、新年度シーズン開幕前日にも解説者総出場による3時間のペナントレース展望が行われ、新年度シーズンの帯番組につなげる。, 2019-20年度シーズンのうち、11-12月の一部の週は、週2本、月曜日と木曜日の生放送としていた。これは台湾アジア・ウィンター・リーグに、日本からイースタン・リーグ、ウエスタン・リーグと、社会人野球の日本野球連盟の選抜3チームが派遣出場されたことにより、フジテレビONE/TWOでも一部の試合が生放送されたためそのハイライトコーナーを行った。, 2020年度は、プロ野球の開幕が新型コロナウイルス感染拡大の影響で大幅に遅れた影響で変更が出ている。, ※●印は2020年現在の解説者。 - ゴゴスマ -GO GO!Smile!-(水曜日), おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴 - 銀座音楽祭 - 最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル! 絶対あいたい1001人 - BSフジLIVE プライムニュース - 小林麻耶の本に会いたい - 紅リサーチ - 女の体当たりサーチ番組 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同番組はベースボール・マガジン社との共同企画により、同12月より、月刊(毎月2日頃)で発売している「DVDマガジン プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代」と連動したもので、同番組で取り上げたテーマのDVDと、そのテーマに関連した「週刊ベースボール特別版」をセットにして出版するメディアミックス企画となっている。なおDVDについては、放送で紹介されなかった貴重な映像を「特典映像」として収録している。, 2019年11月-2020年1月放送。エレクトロニック・スポーツの大会「e-Baseball パワプロプロリーグ・2019-20シーズン」にフジテレビが後援することになり、左記大会と当番組のコラボレーションが実現。原則として期間中の毎週日曜日(一部土曜日)に行われる試合を30分のダイジェストに編集し、月曜日の本編終了後(火曜日未明)に初回放送する。番組ではスピンオフ元の当番組同様、特定の1試合を解説者による試合実況を交えて紹介する「Zoom UP」と「今日のホームラン」のコーナーも再現されている。, かつては、テレビゲームソフト「パワーリーグ」シリーズ(発売元:ハドソン)とタイアップしていたこともある。, 午後は○○おもいッきりテレビ - オールスターちょんまげオリンピック! - 中村雅俊のゼッタイ!知りたがり - 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル - FNNスーパーニュース - 明石家さんちゃんねる - 世界びっくり旅行社 - 久米宏のテレビってヤツは!? - アッコ・古舘のアッ!言っちゃった - アッコにおまかせ! 関西ほんまめん・つるやわトーク - 大谷ノブ彦 キキマス! - クイズ赤恥青恥 - ゆうYOUサンデー! s-park - オフィシャルサイト。新・本格派スポーツニュース!「s-park」 毎週土曜24時35分&毎週日曜23時15分放送。 ※出典広報ページ:プロ野球ニュース(フジテレビワンツーネクスト) IMORI MIYUKI SINGLE COLLECTION 井森美幸に2,000円!. "責任者はお前だ!" !スーパーレース - 12時間超ワイドテレビ - クイズ実力日本一決定戦 - 味の素ごちそうさまワールド・地球おいしいぞ!! - とれんでぃ9 - そんなに私が悪いのか!? !花の大江戸90分笑いっぱなし - 体当り! - 週刊スタミナ天国 - スターかくし芸大会!栄光の30年スペシャル - FNS番組対抗NG大賞 - FNS超テレビの祭典 - 平成教育委員会 - たけし親方の全国ニッカポッカ選手権 - 脳内エステ IQサプリ - スーパーナイト - 情報ライブ EZ!TV - 格闘女神ATHENA - ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題! - 男おばさん 燃えろ!デジタル部 - 男おばさん ワンツーネクスト - さんま&くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ - 知りたがり! - どうーなってるの?! - 笑っていいとも!増刊号 - FNSの日(FNSスーパースペシャルテレビ夢列島・平成教育テレビ・FNS25時間テレビ) - FNN DATE LINE - FNN NEWSCOM - 産経テレニュースFNN - FNNスピーク - FNNニュース2:00 - 週刊フジテレビ批評 - 奥さまお手をどうぞ! - ガリレオヒット脳研 - ひるブラ - テレビでドイツ語 - ザ・プライムショー - 奥さま100!! - 親知らずバラエティー 天使の仮面!! - オゲンコ特ッ派員! - どっちDOTCH! 2. - ジュニア・愛の関係 - ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!? - プロ野球ニュース - チャンス! - 嵐の技ありッ! ロッテ大谷が戦力外 プロ野球. - とんねるずのハンマープライス - とんねるずのみなさんのおかげです - とんねるずのみなさんのおかげでした - A女E女 - カイジGAME1 - VivaVivaV6 - SMAP×SMAP - トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 - クイズ!ヘキサゴンII - カシアスRECORDS - 団塊ヒーロー!香リン4 - キャンパスナイトフジ - アナ☆ログ - アナ★バン! - タモリのジャポニカロゴス - クイズ王最強決定戦〜THE OPEN〜 - まるまるちびまる子ちゃん - アナ★バン! - クメピポ! - FNNスーパーニュース - FNNレインボー発 - プロ野球ニュース - 女子アナスペシャル - すぽると! - F1ポールポジション - クイズ!世にも不思議な逆回転 - 第四学区 - ぶったま!ピープー - ゲーム数字でQ - F1グランプリ - KEIRINグランプリ - 報道ステーション - フルタチさん - トーキングフルーツ - おしゃべりオジサンとヤバイ女, 暴れん坊将軍(第2シリーズ) - 制作2部青春ドラマ班 - 連続テレビ小説(君の名は - エール) - 豆腐プロレス - 下町ロケット, 不二家歌謡ベストテン - 古舘伊知郎の赤坂野郎90分 - 古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD, 渡辺宜嗣 - 佐々木正洋 - 宮嶋泰子 - 吉澤一彦 - 戸谷光照 - 南美希子 - 中里雅子 - 伊福保子, 古舘プロジェクト - テレビ朝日 - ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団 - 立教大学 - 新日本プロレス, 古舘佑太郎 - 秋元康 - 和田アキ子 - 井上順 - 芳村真理 - 柴俊夫 - 加賀まりこ - アイルトン・セナ - 今宮純 - 森脇基恭 - 川井一仁 - 津川哲夫 - 露木茂 - 大川和彦 - 川端健嗣 - 馬場鉄志 - 三宅正治 - 塩原恒夫 - 長野智子 - 中村江里子 - 本田朋子 - 山﨑夕貴 - 小澤陽子 - 宮司愛海 - アントニオ猪木 - 桜井康雄 - 山本小鉄 - 富川悠太 - 河野明子 - 市川寛子 - 小川彩佳 - 宇賀なつみ - 徳光和夫 - 関口宏 - みのもんた, 地方局アナウンサーの中には、その後フリーとなってこの番組を改めて担当することになった人物(梅田淳、石原敬士など)もいる。, 後継番組の『すぽると!』では2001年の開始から2010年まではレギュラー解説者はフジテレビ専属解説者のみであったが、2011年よりフジテレビ専属解説者でない、, プロ野球パック視聴者はフジテレビCS放送が視聴できるセット(スカパー!はONE、TWO、NEXTの3チャンネルセット、e2はONE、TWOの2チャンネルセット=オプションでNEXTと3チャンネルまとめて加入し割引になるサービスあり)を購入する必要がある。ただし、フジテレビTWOで放送されるプロ野球ナイター中継(巨人戦ビジターの試合)はプロ野球パック加入者は視聴できる。, このタイトル出し(「解説者」の部分はその試合の解説担当者の苗字)を右上に表示。ただし同じ苗字が複数いる場合は下の名前で表示する場合がある(例・2019・2020年シーズンは斉藤性を名乗る人物が2人いるので、その試合をレポートする人物によって「, 『すぽると!』でも2012年より平日放送では最も注目度の高い1試合については基本的に当日のスタジオ解説者と, 2014年のものは、オフシーズン版初回・2014年11月17日初回の放送で取り上げた。, 2013年より当番組の解説者となった。2007年-2009年もフジテレビ・関西テレビ解説者であったが、当番組には出演せず。『すぽると!』のみ出演していた。, 現在高齢のため、近年は不定期出演となっていた。2016年の出演を最後に2017年は出演なし。2018年より公式サイト解説者一覧の掲載からも外れた。, MLBの解説を担当。『すぽると!』も続投予定だったが闘病中で、このポジションを弟子の, ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(秋田テレビ・新潟総合テレビ・福島テレビ・仙台放送)を受信できた場合は、ネットチェンジ後も引き続き視聴できた。, テレビ新広島・愛媛放送・テレビ西日本・テレビ熊本・テレビ宮崎(平日版は1994年3月まで)・鹿児島テレビ・山口放送(1993年9月まで), 例として、2012年4月28日のロッテ対ソフトバンクは金村義明と石原敬士が担当したが、その試合は「, 2015年8月21日の「広島対巨人」のように、まれにだが、生放送に試合が終わらず、翌日の冒頭にその続きの結果を伝える場合もあった。, 2001年開幕時、最終回以外の放送では「今日のホームラン」のBGMにも使用された。, DVDブック号数は放送回から1を引いた数が号数。ただし第1回はDVDブックでは第0号「週刊ベースボール別冊新年号(2015年)」として発行。, 翌朝再放送(日曜日から木曜日深夜の放送分のリピート)をした局があるほか、クロスネットや系列外の一部ではその再放送枠を初回放送扱いとした局もある(後述), テレビコ #46 「SPORT」 第1話「これでは視聴者を満足させられないと、“プロ野球”の看板を外しました。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=プロ野球ニュース&oldid=80366144, その日に行われた試合をすべて取り上げ、しかも現場に近い系列局のスタジオ(地方開催時も同様。系列局のない場合は、番販ネット局のスタジオか、近隣県の系列局と当該県のフジテレビの支局の協力を得て試合会場近くに特設の会場を設けて伝える, 当日のすべての試合を10分程度採りあげた。当時はニュース用に映像を使う場合、3分以内なら無料、3分を超えるとその試合の主管球団に対し料金を支払わなければならないという規則があったが、それを番組側が資金を用意し球団側に支払ったため実現したものである。, シーズン大展望SPは本来の開幕前日3月19日(木曜日)に放送したが、その後も6月15日までは毎週月曜日のみの放送になった。, 「Zoom UPゲーム」コーナーは基本的に各リーグ1試合のパターンで、レポーターの解説者はどちらか1名は電話もしくはナレーションのみで解説、もう1名はスタジオ出演を基本とする。また土曜日放送分に関しては、7月まではMCは1名のみであるので、その分解説レポーターを1人増やし3人体制(この場合でも1名は電話またはナレーションのみ)とし、「Zoom UPゲーム」は原則3試合(大抵の場合、どちらか一方のリーグが2試合となるが、ほとんどの週はパ・リーグで2試合となるパターンが多い)だったが、8月以後の放送では通常の回同様にレポーターの解説者が2人だけ=いずれもスタジオ出演で、「Zoom UPゲーム」が両リーグ1試合ずつとなるパターンに戻った。, 佐々木信也(地上波時代)、みのもんたの担当の頃には夏季休暇および体調不良による不在時の代役として, 1997年4月:日曜版のプロ野球ニュースが一旦終了、とんねるず総合司会によるスポーツ情報番組「, 2006年 - 2008年、2012年-:月曜日に試合が行われた場合は、他の曜日のキャスターが担当する。交流戦期間中は2連戦一括り(2勤・1休が基本)となるため、試合日によっては月曜以外でも本来の曜日と異なるシフトで司会を担当するメンバーもいる。, 2007年まで、オフシーズンの放送は佐々木信也(佐々木不在時は福井謙二らが代役として出演する)が担当した。, 2009年4月2日(2009年シーズン開幕前日)まで、佐々木信也は解説者としての出演ではなく、あくまでキャスターとしての出演であったが、2009年シーズンより解説者として当番組に出演することとなった。これに伴い、CS移行当初からプロ野球ニュースの公式ページには、メインキャスターとして佐々木信也の写真が掲載されていたが、2009年のシーズンからトップページの写真は渡辺和洋アナウンサーになった。, 司会進行のアナウンサーについては、地上波の番組のキャスターの休演による代役など、やむをえない事情で参加できない場合には別のアナウンサーがキャスターの代行する日もある(土曜日の進行は男性アナウンサー1人のみであるが、その都合がつかない場合には解説者がそれを担当する日もある)。, 一時期、冒頭の司会者挨拶のところでのタイトルの字幕の下に「FNN」の文字を入れていた時期がある。, さんまのクリスマスクイズショー(1992年12月21日 - 12月27日(26日深夜)), 再放送 毎日25:00 - 26:00、6:00 - 7:00、12:10 - 13:10、16:50 - 17:50(編成の都合上、放送時間が前後したり放送休止になることがある), 試合数が極端に少ない場合には、余りの時間に企画コーナー(2012年度は後述の日替わりコーナーがあった)を放送するか、番組自体の放送時間帯を削減する場合がある。削減する場合は、今後のフジテレビONEで放送される予定の番組案内に差し替えられる。, 「今日のファインプレー」「Play of the Day」「今日のホームラン」における共通事項として、, オフシーズンは、主に1週間のプロ野球界をめぐるさまざまな話題・トピックスを紹介しながら、それらについて解説者・MCでの質疑応答を行う他、シーズンオフの選手をゲストに迎えて選手のそのシーズン中の活躍について振り返ったり、過去の名選手が出演した地上波時代のプロ野球ニュースの秘蔵映像を振り返る企画もある。, 2013年度はオフシーズンに「プロ野球ニュース2013アーカイブス」と題し、シーズン中のレギュラー放送の中から、特に印象に残った試合・選手らに焦点を当てた特集番組を放送する。, 野球力(「やきゅうぢから」と読む、日曜日 - 金曜日)・サタデーナイトライブ(土曜日), 再放送 毎日25:00 - 25:50、6:00 - 6:50、11:00 - 11:50, 編成の都合により23時の放送が無く、25時の放送が本編の放送となる場合がある。また、再放送の時間も変更される場合がある。, プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送、あるいは放送休止となる(プロ野球の試合があっても、編成の関係で再放送を行わない日もある)。, 番組内容は2007年オンシーズンとあまり変わっていないが、番組の最後のコーナーが「延長戦」に変わり、この日担当したキャスターと解説者でフリートークを展開する。, 2008年は日本シリーズの最終日(11月9日)をもって終了し、年内はオフシーズンのレギュラー放送を行わない。12月21日に2008年シーズンの総集編を生放送(20:30 - 23:30)し(年末恒例の「今日のホームラン全部見せます」スペシャルについても放送なし)、2009年1月からは月2回の放送となる。, 再放送 毎日25:00 - 25:50、6:00 - 6:50・11:00 - 11:50, プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送あるいは放送休止となる(プロ野球の試合があっても、編成の関係で再放送の行わない日もある)。, 再放送 日曜1:00 - 1:50、6:00 - 6:50、11:00 - 11:50、月曜6:00 - 6:50, 再放送 毎日25:00 - 25:50、日曜 - 金曜 6:00 - 6:50・15:00 - 15:50, 再々放送 土曜6:00 - 11:50 (前週土曜から金曜までの放送分を連続して放送する), 放送前にスタッフが参加して打ち合わせが行われ、番組で取り上げていく項目、つまり、伝えなければならないニュースを中心に選択していく。, その他に取り上げるニュースはキャスターの佐々木が21時30分頃にフジテレビに入り、すぐに、その日の野球に関連した情報すべてをチェックし選択。これは佐々木自身が、本番前の最も重要な仕事と位置付けていた。それが終わったら、項目毎にどのように伝えていくかを秒単位で考える。ただ、伝えるのは取り上げる試合と試合の合間で、しかも、時間も限られているため、長くて30秒・短くて15秒とコメントを考えなければならなかった。, ちなみに、佐々木はキャスターを務めていた間にストップウォッチを持っていて、時間があれば、取材してきた情報を元に、座っている椅子がキャスター席だと思い時間を計りながら伝える練習をしていた。こうすることで決められた時間内に伝えていく感覚を身に付けたのである。, 試合が始まると、進行状況が各系列局のディレクターや記者からの報告、それに、共同通信社から配信される情報が、それぞれフジテレビに伝えられる。, そして、試合の模様を撮影したフィルム(後にVTRに変わる)が運ばれ、同時に取材していた解説者とアナウンサーが球場から車で各系列局に急いで向かう。届いたフィルムはすぐに現像を行い、それが終わるとおよそ4人で編集作業を行うが、手作業で行っていたので、かなりの手間と時間を要していた。それでも、放送時間に間に合わそうと必死だった。なお、系列の関西テレビの場合はかつて「編集の名人」が存在しており、手際よく作業をしていた。, こうして編集作業が完了した全試合の映像をどのような順番で放送していくかをディレクターが決めていく。ただ、キャスターの佐々木は試合によって「スタジオトークを長く」という風にスタッフに対して時間配分についての提案は行っていた。, いよいよ本番、それでも、日によっては雨による試合の中断・開始時間の遅れやサヨナラ勝ちなどの劇的な展開で編集が間に合わなくなることが生じる。その場合、放送順の入れ替えを行い、その上で放送中、キャスターは視聴者に対してお詫びを行い、別の試合を先に放送していた。そして、前述したように、佐々木が選んだニュースは取り上げる試合と試合との間に伝えていく。最後に明日の, スタッフは放送前日までには試合担当アナウンサーにどの試合を担当させるかを確定させ、それぞれの試合担当アナウンサーに伝える。, 試合開始前、試合担当アナウンサーは球場には行かず、フジテレビ入り、スタッフから進行表を渡され、この日伝える試合を確認し、それに関連した資料とスコアブック(記録用紙)を事前に準備。ただし、担当の試合がデーゲームの場合は球場に行く場合がある, 試合が始まったら進行役のアナウンサーに試合担当アナウンサー、解説者、それに試合を担当するディレクターと多い時で合わせて20人が共にモニタールームに置かれた6台のモニターで一斉にそれぞれの試合の模様を確認する。, 試合担当アナウンサーは6台のモニターの中でその日担当する試合(時には2つの試合を同時に確認しないといけない)を注視しながら、解説者と共に伝える場合は、スコアを付けながら、目につくプレーがあったら解説者に確認。一方、オフコメ(前振りなし)の場合、自ら試合経過や、試合中での話題などを付けていく。, もし、オフコメとして放送を予定されていた試合が好ゲームだった場合は統括ディレクターがその試合をメインカード(Zoom Upで特集する試合)にするという決断を下す。, 試合が終わると試合担当のディレクターとアナウンサー、それに解説者との打ち合わせを行う。段取りとしては試合担当アナウンサーが記録したスコアブックにマーカーを引き、使う映像を決めていく。試合担当アナウンサーと解説者は話の段取りを固めていくが、時間に余裕がない時にはそのまま本番に臨む。, なお、時間がある場合、試合担当アナウンサーは編集された映像に合わせて下読みを行う場合がある。, 試合が極端に延長した場合は、編集の都合上、本来放送すべき順番を入れ替えて、その極端に延長した試合は最後に回すことがある, 最後に「今日のホームラン」のコーナーがある時は、キャスター(しない人もいる)がバッティングフォームの形態模写をする。なお稲村が担当するようになってからは、「神スウィング女子」の異名を持っていることから、キャスター席を離れてステージ中央に立つ。日曜日はこの形態模写を当日のスタジオ出演者全員でやる。それが終わると、上述の翌日(または次回開催日)の予告編(対戦カード・予告先発・CS放送中継予定局)のスーパーを出しながら、その日の振り返りとなる。, 本番終了後、試合担当アナウンサーとディレクターで反省会を行う。また、翌日も出演する場合、直接スタッフから試合担当アナウンサーにそれぞれ担当する試合を伝える。, ライツアウト(Lights Out March 作曲: Earl.E.McCoy), 過去に『プロ野球ニュース』で放送したVTRから名場面を放送したり、シーズン終了後にはシーズンを総括する企画も放送される。, 番組内の企画「Play of the Day」「今日のホームラン」を1年分まとめて放送する番組は毎年放送されている。, 2009年のシーズンオフからは、プロ野球ニュースのセット・出演者にゲストを迎えた形で野球界の裏話を語る「, 本番組はフジテレビ本社スタジオから放送するが、1996年12月29日放送分は、当時月曜から水曜のMCだった西山喜久恵の実家から放送した。, NHKアナウンサー史編集委員会編 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1991年、337-339頁。, 31.I wish~君がいるこの街で~ - 32.星より先に見つけてあげる - 33.宇宙の彼方で. がんばった大賞 - トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 - プロ野球珍プレー・好プレー大賞 - セリエAダイジェスト - サッカー小僧 - さんまの天国と地獄 - FOOTBALL CX - 日本の歴史 - タモリのジャポニカロゴス - 明石家さんまのフジテレビ大反省会 - グータンヌーボ - ハッケン!! - ちちんぷいぷい - ニジ☆ゴジ - ニュース・シグナル - ダルコロ!! 月曜日 - 走る男女子部 - 走る男 THE FINAL - ニュース610 京いちにち - 森脇伝説 - 離島酒場. - アイドル共和国 - 桜っ子クラブ - 森脇・山田の抱腹Z - 森脇・山田の送りオオカミしちゃうぞ! - 聞きにくい事を聞く - グレイティストTVショー, 八木亜希子 LOVE&MELODY - 八木亜希子と垣花正のサウンドコレクション - 垣花正のあなたとハッピー! - 西村雅彦のさよなら20世紀 - ポンキッキーズ - V6の素 - こたえてちょーだい!(代理) - F2 - F2-X - F2スマイル - FNNレインボー発 - なまあらし LIVESTORM - これでいいのダ!日本列島あかるいニュース - クイズ!スパイ2/7 - トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 - THEわれめDEポン - 平成教育委員会 - 初詣!爆笑ヒットパレード - 天才のパチンコ - 日本偉人大賞 - アナ☆パラ - ラジかるッ - オジサンズ11 - おせん - サンデージャポン - 全国おもしろニュースグランプリ - 超豪華! ?我が家の財産 - 月曜エンタぁテイメント - いきなり結婚生活 - 新説! 4 - クイズ!お笑い知ってる王 - にっぽん木造駅舎の旅 - 情報ライブ ミヤネ屋 - ワイド!スクランブル - 元気家族テレビ となりのマエストロ - ワンセグランチボックス - いま世界は - BS朝日 新春討論スペシャル - 東野幸治のナイモノネダリ - グレイティストTVショー, 日枝久 - 石井一久 - 古田敦也 - 野村克也 - 露木茂 - 須田哲夫 - 福井謙二 - 城ヶ崎祐子 - 軽部真一 - 三宅正治 - 岩瀬惠子 - 笠井信輔 - 中井美穂 - 八木亜希子 - 大坪千夏 - 近藤サト - 中村江里子 - 小島奈津子 - 西山喜久恵 - 奥寺健 - 伊藤利尋 - 藤村さおり - 宇田麻衣子 - 深澤里奈 - 荒瀬詩織 - 島田彩夏 - 内田恭子 - 梅津弥英子 - 高島彩 - 中野美奈子 - 生野陽子 - 加藤綾子 - 三田友梨佳 - 永島優美 - 久慈暁子 - 井上清華 - タモリ - 安藤優子 - 滝川クリステル - 高嶋ちさ子 - 久保純子 - 徳光和夫 - 羽鳥慎一 - 森麻季 - 進藤晶子 - 小林麻耶 - 田中みな実 - 皆川玲奈, あんぎゃでござる!! 『プロ野球ニュース』(プロやきゅうニュース、英称:PROFESSIONAL BASEBALL NEWS)は、かつてフジテレビ系列の地上波テレビ局で放送され、後にフジテレビ系CS放送のフジテレビONEで放送されている、プロ野球(日本プロ野球・NPB)を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。 『プロ野球ニュース』(プロやきゅうニュース、英称:PROFESSIONAL BASEBALL NEWS)は、かつてフジテレビ系列の地上波テレビ局で放送され、後にフジテレビ系CS放送のフジテレビONEで放送されている、プロ野球(日本プロ野球・NPB)を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。, 第1期は、1961年4月1日にニュース番組の1コーナーとして「きょうのプロ野球から」(同年に限り月曜日は「プロ野球週間展望」)のタイトルでスタート。後に『プロ野球ニュース』に改題した。当時は日本鋼管の1社提供番組だった。その後、1965年に一旦番組終了となる。, 放送時間はスタート当初は23:15 - 23:35だったが、後に23:00 - 23:35→22:55 - 23:10に変わった。また、1964年までは翌7:00 - 7:20に再放送されていた(いずれもペナントレース期間中のみ放送だった)。, 1960年にはカラー放送が始まっていたが、まだ、テレビ界で全時間帯におけるカラー化には至っておらず、全体の1割程度だった。そのため、第1期は白黒で放送していた。, 当時の番組は、2試合をフィルムに解説を交えたうえで、残りの試合は共同通信社より送られてきた情報を短くまとめて、結果をフリップに書いたものを利用しつつ伝えていた[1]。, 『プロ野球ダイジェスト』を放送終了した日本テレビは1965年11月『11PM』の放送を開始。瞬く間に人気番組に駆け上り、23時枠は同局の一人勝ち状態が続いた。これに各局もより報道色の強いワイドショー番組等で対抗するものの、すぐに『11PM』以上のお色気路線に転向したNET(後のテレビ朝日)の『23時ショー』が辛うじての成功例で他は全く歯が立たない状態だった(1969年4月から約3年間、フジテレビは関西テレビや東海テレビとの3社共同制作〈キー局は曜日ごとの交代分担制〉の芸能ニュースを主軸とした『テレビナイトショー』→『トゥモロー』が放送されていたが、その後打ち切られ、ドラマ再放送や映画などで穴埋めをしていた。またこの間、スポーツニュースはおおむね5分程度のものが主であった)。, しかし『11PM』の視聴率が1975年頃から落ち始め、それに合わせるかのように地方局が相次いで『11PM』のネット放送を打ち切った。その状況にプラスして「万年下位」と言われた広島東洋カープが初優勝、阪急ブレーブスが初の日本一、一方で読売ジャイアンツが球団史上初の最下位からの立ち直りを期して張本勲を補強するなど1976年のプロ野球の盛り上がりが開幕前から期待されていた。, それに合わせるかのように2年前の1974年にNHKの『ニュースセンター9時』が始まり、NHKのニュース番組で初めてスポーツコーナーが設けられた。プロ野球の結果と途中経過の速報や大相撲の結果を電光掲示板で伝えるなど当時としては画期的だった。また、1974年10月14日にはこの日をもって17年間の巨人での選手生活を終えた長嶋茂雄が、新調した紺のスーツを着てスポーツコーナーに生出演し、当時スポーツコーナーを担当していた福島幸雄のインタビューに応じた。これについては福島自身が長嶋に対して生出演の依頼を行い、それに留まらずこの日のトップ項目にするように粘り強く頼み込み、キャスターの磯村尚徳が「やりましょう」と、「長嶋引退」のニュースをトップに据える決断を下した。この一連の取り組みにより、『ニュースセンター9時』がスポーツ情報の面でも一躍リードする存在となり、その分日本テレビやフジテレビをはじめ民放のスポーツニュースが充実していなかったことが、浮き彫りとなった。, また、1970年代当時のプロ野球中継は日本テレビがいわば独占で後楽園球場で行われる巨人戦の試合を放送し、他の放送局では後楽園以外の球場で行われている試合を中継するというのが1つのパターンとなっていた。, そのような状況下で1975年の秋、鹿内信隆会長の命を受けてフジテレビ社内では「スポーツニュースのワイド化」の構想が練られていた。, 当時フジテレビにおけるスポーツ制作の部署は「報道局スポーツ部」となっており、部内の上層部に野球に詳しい人材が多くいたが、その中の一人が、かつて地上波時代(第1期)の『プロ野球ニュース』のキャスターを務めた鳥居滋夫であった。アナウンサーをしていた頃は初期の競馬中継などスポーツ中継を担当していたが、この時はアナウンサーからスポーツ部の中心的存在となっていた。, 社内では「プロ野球ニュース」の立ち上げに関連した会議がいくつか行われ、準備は進んでいた。1975年に編成部から報道局スポーツ部に「あの『プロ野球ニュース』を夜11時台に復活させたいと思うのだが……」と連絡が入り、早速、社内でプロジェクトチームが立ち上がった[2]。, 特に、最大の問題は「キャスター」を誰にするのかであった。いろいろと名前が挙げられたが、平日には野球解説者の佐々木信也に、週末には、かつて文化放送でもごく数年、プロ野球中継実況を担当したことがある土居まさる[注 3] と決まった。特に佐々木の起用は相当な議論の末の決断であり、左記2名のほかに、高島忠夫やスポーツ評論家としても著名だったロイ・ジェームス、さらには裏番組『11PM』から大橋巨泉[注 4]をヘッドハンティングすることも検討された[3]ほどだった。, 1976年2月17日に正式に『プロ野球ニュース』の放送が始まることが発表された[4]。席上で当時の広報副部長は、明言を避けながらも「打倒『11PM』!」と宣言していた[4]。, この節では、佐々木信也・みのもんた(1980年4月 - 1988年3月)がキャスターを務めた1976年 - 1988年3月を前期、フジテレビアナウンサーが主にキャスターを務めた1988年4月 - 2001年3月を後期に分ける。なお、前期から後期へ移り変わる間には1987年4月 - 9月に『FNNニュース工場』に、同年10月 - 1988年3月まで『FNN DATE LINE』に、1988年4月 - 1990年3月まで『ニュース最終版』にそれぞれ内包されている。, そして、10年半のブランクを経て1976年に日本初の本格的スポーツニュースワイド番組『スポーツワイドショー プロ野球ニュース』として再スタートした。放送時間帯は主に23時台の『FNNニュース最終版』(1968年 - 1977年放送)→『FNNニュースレポート23:00』(平日)、『FNNニュースレポート23:30』(週末)(1977年 - 1987年放送)の終了後。ただし、1987年度は『FNNニュース工場』→『FNN DATE LINE』にコンプレックスする形(一部ネット局ではこの『プロ野球ニュース』のコーナーだけネットした放送局もある)で放送された。なお開始当初は平日に限り、翌朝再放送(日曜日から木曜日深夜の放送分のリピート)をした局があるほか、クロスネットや系列外の一部ではその再放送枠を初回放送扱いとした局もある(後述)。, スタート当時の『プロ野球ニュース』の制作体制は最高責任者である「編集長」を筆頭に、「現場担当デスク」「局内担当デスク」と「各球団の担当記者」といわばピラミッド状に形成されていた。その他に「ディレクター」「アシスタント・ディレクター」など含めると総勢でおよそ25名の陣容で日々の番組制作に関わっていた。1976年にはスポーツ新聞の形式に倣った各球団ごとの担当記者も新設された。, 前述のとおり初代の平日版総合司会は佐々木が務めた。佐々木は高橋、大映、大毎で4年間プレーした経験を元に足で稼ぐキャスターとして人気を博し、1988年3月の勇退まで12年間総合司会の地位を築いたが、その後、スーパーバイザーとして務めた(なお、理由は不明だが、局側は公式には1976年開始、初代キャスターは佐々木としている。また、佐々木は第1期放映当時はNET(日本教育)テレビ、後のテレビ朝日や日本テレビで解説者として出演していた)。, 週末に関しては初代から土居→はらたいら→押阪忍→みのもんたと1988年までに4人代わっている。中でも、はらは3カ月担当したが、本業の漫画家との兼ね合いや、生放送でアドリブが利かず、特にある日の放送でCMまで40秒で伝えなくてはいけないところ、手元の原稿を25秒で読んでしまい、その後の15秒は自らの言葉でコメントをすることができなかったため、結局生放送への出演が難しくなったことから途中降板したとされている。また、みのの語りによる『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』は同番組の看板企画として定着し、ついには不定期ながら独立番組となるまでに至った。ある意味、みのがコメディリリーフ的な役割を持ち、キャスターとしてのブレークのきっかけをつかんだといえる。なお、みのは一時期日曜夕方の『サントリー スポーツ天国』担当のため、金・土にシフトしたこともあった(この間、佐々木は日 - 木担当)。シーズンオフの一時期には月曜もみのが担当したこともあった。, 1976年の第1回放送では関西テレビに映像が切り替わるはずが、切り替わらず、佐々木が「今日は寒いから、電波も凍えているのではないでしょうか?」とコメントをする場面があった[5]。, この試みは番組における方針(前述)と共にすぐさま視聴者の共感を得て、激励の声がフジテレビには殺到した[7]。当初見込んでいた「巨人びいきのテレビ中継」に不満を抱えていた他球団のファンはもちろん、当時はパ・リーグが脚光を浴びる場面はほぼ皆無だったため、その日行われた全ての試合を解説者付きで細かく見せる放送はパ・リーグの選手が特に喜んだ[6]。また、セ・リーグの各球団のファンも普段のパ・リーグの選手がプレーをする姿に新鮮味を感じていた。なお、番組開始当初の様子について佐々木は後のインタビューで、「(球界関係者は)おそらく98%ぐらい見ていてくれたんじゃないのかな?」と語っている[要出典]。, 番組開始当初はビデオテープが普及しておらず、フィルムで撮影したものを球場から運んで急ぎ現像室で、短時間でフィルムを編集して放送時間に間に合わせる作業は至難の業を極めていた[6]。その中で、スローモーション専用のフィルムカメラを他のスポーツニュースに先駆けて採用したことは注目された。また特に、上記の方針「球場の効果音をフルに生かす」ことにのっとって、ビジュアル要素にもこだわりを見せ、これまでのスポーツニュースでは主要ゲーム・大会のフィルム映像(音声なし)と行進曲の音楽をバックにアナウンサーが試合の戦況を述べるという程度だけだったものを、音声が録音できる磁気トラックフィルムを採用することで、映像と同時に収録できて球場の臨場感をそのまま再現したことにより視覚的にも楽しめる演出を取り入れた[8]。, さらに、番組開始当初は試合のハイライトだけでなく、番組独自の「ヒーローインタビュー」も行われていた。1回3分から3分半で、謝礼は3万円だったが、パ・リーグの選手の中には「謝礼なんて、とんでもない。『プロ野球ニュース』に出させてもらうだけで万々歳です」と受け取るのを断った[6](しかし、翌シーズンにその選手の所属球団から番組に請求書を送り付けた)。佐々木は「巨人あたりから『お前のところも、ギャラを受け取れ!』という指示があったのではないか」と話している[6]。また、王貞治のホームラン世界新記録である756号達成時には、試合後の王と荒川博(当時巨人打撃コーチ)をスタジオに招待し、記録達成の裏話を披露するなど、大記録を達成した選手にはシーズン中でも積極的にゲストとして出演した[9][信頼性要検証]。, しかし、番組が始まって1カ月後の1976年5月1日、当時後楽園球場で主催試合を行っていた読売ジャイアンツ・ロッテ・日本ハムの3球団がフジテレビに対し、放送権料に関する申し入れを行った[2]。これは、この番組を「ワイドニュースを含めた報道番組」とした上で、放映権料基準を要求してきたためである[10]。最終的に1976年5月12日、各球団はマスコミに「ワイドニュースは報道番組である」と認めた[10]。, 本番組の開始はスポーツ新聞の伝え方にも大きな変化をもたらした。従来のスポーツ新聞は記事の内容のほとんどが試合経過に紙面を割いていたが、前夜に番組で試合経過を伝えるようになってからは、プレーの裏側に焦点を当てた記事が目立つようになり、さらに、これまで試合経過や戦評に割いてきたスペースには選手個人に関する情報を記事にするようになったため、いつしか「スポーツ新聞の女性誌化」と言われるようになってきた。プロ野球の方も第1次長嶋政権初年度に巨人が優勝して人気再燃のきっかけを作り、これがきっかけで『11PM』を放送していた一部の放送局が『プロ野球ニュース』に切り替えるようになった(後述)。, その他、女性ファンの開拓にも貢献したとされる[6]。昭和30年代は球場に女性ファンが来ることはなかったが[6]、この番組から女子アナが球場に来るようになり[6]、野球選手と結婚するケースも増えた[6]。女子アナの起用を提案したのも佐々木で、シーズンオフの「選手の家庭訪問」のような企画は女性がやった方がいい、と提案して最初に起用されたのが中井美穂だったという[6]。, 視聴率の面でも開始直後には5 - 6%台をマークし、時には10%近くに達していた。シェア(占拠率)も、同時間帯でトップを獲得。この影響で、フジテレビは1979年に「報道局スポーツ部」から「スポーツ局」に昇格させた。民放では初の出来事だった。, 佐々木がキャスターを務めた時期の特徴として、その日行われたすべての試合をストーリー仕立てにしていくことでフジテレビのスタジオと各系列局の一体感を持たせた。例えば、前の試合が乱打戦だった際には佐々木が系列局のスタジオにいるキャスターと解説者に対して「○○(球場名)はすごい試合でしたが、首位を争う○○(チーム名)はどうだったでしょうか」とコメントを振ってから系列局のスタジオへと切り替えた。さらに、佐々木はその系列局のスタジオにいる解説者の発言にも気を配り、何か使えそうなコメントがあったら、「○○(解説者)さんはこんなことを言っていましたが、これに関する談話が入っています」などと言いながら話を展開していった。また、各系列局のアナウンサーが「固有名詞」や「過去の出来事」を誤って伝えてしまった場合でも、訂正は基本的に佐々木が行っていた。このようなストーリー性のある番組進行はのちの各局スポーツニュースでも多用され、定番化されている。, 1977年、この年からフジテレビ独占放送が始まったバレーボールワールドカップ期間中は、プロ野球ニュースのタイトルを外し、ハイライト番組として放送していた。また、同時期に日本テレビ放送網も全く同じ題名の『プロ野球ニュース』と題した番組が放送(時間不明)されていたが、こちらは読売ジャイアンツの主催試合のハイライトが主であり、次の1978年ごろから『巨人戦ハイライト』と改題された[11]。, 1980年代に入ると「今日のホームラン」と題したその日の公式戦全ホームランを映像リプレーするコーナーが番組の末尾に行われ、プロ野球のみならず多くの野球選手・指導者にも好評で、打撃フォームの確認や向上に役立てられたといわれている[9]。その中でも初期のコーナー・テーマソングであったジェームス・ラスト・バンドの「VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」は特に人気があった(シングルカットもされている)。またスタジオセットが変わった1987年から、それまで取材したアナウンサー・解説者がその試合について振り返ってメインキャスターに振って、その後その試合についての関連情報を話すという体裁だったのを、試合のビデオが終わりスコアテーブルを表示した後、メインキャスターと取材解説者のその試合についての質疑応答が行われるようになった。, 1987年より、長時間特番『FNSの日』が開始。本番組も『プロ野球ニュースSP』として1コーナー扱いで放送され、これは後の『すぽると!』にも引き継がれている。この時は「FNSの日」のパーソナリティーが特別キャスターやゲストとして招かれて、通常とは異なる特別コーナーが設けられたりもした。, シーズンオフにはクイズ大会、選手の旅行企画、バラエティー等の企画コーナーを日替わりで放送し、プロ野球選手の隠れた素顔を披露した。中でも、その選手の故郷を訪ね、名所・旧跡を巡り、居酒屋などにて同級生などと思い出話を語り合う「わが故郷」のコーナーや数十人のファンを招待し球団関係者や野球解説者がワンテーマを設けスタジオで講演を行う「ザ・講演」のコーナーはどちらも佐々木が企画し放送されたものだった。中にはそのまま独立番組として番販できそうなコーナーまであり、有名なところでは古田敦也を中心とした(関西テレビが企画)昭和40年会(昭和40年生まれのプロ野球選手が集まって何らかの行事を行う)があった(1992年より『ボク達同級生!プロ野球昭和40年会VS48年会』として関西テレビの正月特番として放送)。なお、シーズンオフの企画はスタッフ会議にてアイデアを出し合いどのようなコーナーを放送するのか検討する。この企画の体裁は『すぽると!』でも日替わり企画として続いているが、『すぽると!』発足後は野球シーズン中にも曜日別企画を取り入れている。, これ以外では、毎年12月24日の放送にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』との同時中継を行っていた。, 当時フジテレビで放送されていた『ドリフ大爆笑』では、本番組のパロディである「お天気ニュース」という天気予報のコントが製作されており、本家と同じ佐々木信也が司会者役でゲスト出演している。, 1980年代のいわゆるフジテレビの「80年改革」による成果が出たことにより1980年以降もこの『プロ野球ニュース』もこの大きな躍進の陰でわずかな存在感を見せていたが[12]、1987年6月25日付で発令されたフジテレビの人事異動により、『オールスター家族対抗歌合戦』のプロデューサーを務めていた浜口哲夫が『プロ野球ニュース』の編集長に就くことになった[13]。, 当時のフジテレビ会長だった鹿内春雄の命を受け、浜口ら新スタッフは『プロ野球ニュース』の改革に乗り出すことになったが、平日のキャスターを務めている佐々木信也を交代させることは容易ではなくスタッフの間では反対の声が上がった[14]。, しかし当時のチーフディレクターは「ディレクター主義」の番組制作を掲げていたことに加え、佐々木のいわゆる「衰え」というのが決め手となって、1987年シーズンオフに降板が決定、後任キャスター人事を進めることになった[15]。, 1987年の冬に須田珠理をとあるゴルフ場にて見つけ、スカウトして平日のサブキャスターに起用した[16]。, さらに、週末のキャスターには浜口の「女性キャスター登用」という方針と、週末のプロ野球ニュースを「新機軸のスポーツエンタテイメント」にしたかったため、当時入社2年目(1987年入社)の中井美穂を起用することを決めた[17]。, 一番難航したのは平日のメインキャスターで、高島忠夫に加え、週末のキャスターを務めていた土居まさるや押阪忍の復帰案、それに、プロ野球の選手OBなどいろいろな名前が浮かんだものの、結局はフジテレビのスポーツアナウンサーから選ぶことになり、その結果、当時32歳の野崎昌一に決まった[18]。, こうして、1988年2月26日にフジテレビ内で記者会見が行われ、新キャスターの就任が正式に発表された[19]。, なお、鹿内宏明会長が就任した1988年4月から『FNN DATE LINE』と合わせた『FNNニュース最終版』という一つのワイドゾーンを形成するものの実質的には独立番組に戻り、平日はまずこの番組から、週末は『DATE LINE』の後から放送した。1990年4月からは全曜日とも『FNN NEWSCOM』終了後からの放送となって完全に独立化。, 1993年にはJリーグ開幕と同時に「Jリーグ情報」を始めるなど、この頃から番組自体も内容の変化を迫られることになる。, 1993年度は、日曜キャスターに森脇健児、月曜キャスターに森口博子を起用し、日曜は「サンデーバード」と題して『サンダーバード』のテーマをBGMにした独特の演出で放送、月曜はF1担当として古舘伊知郎が出演、またレポーターとして女性アナウンサーが多数出演するなど、バラエティ色が強化された。また、大阪スタヂアム(大阪球場)のヤジ合戦などといったものも紹介されたことがある。, 1994年4月、『LIVE'94 ニュースJAPAN』(平日)、『LIVE'94 スポーツWAVE』(週末)のそれぞれ1パートとなり、事実上再び深夜のニュース・情報番組に内包される形式に戻った。しかし、このときは完全に内包先の番組の1パート扱いとなっており、加盟局以外のネットは不可能となった。これに伴いそれまでネットを実施していた高知放送、四国放送、テレビ宮崎はネットから離脱しちょうど同時期にスタートした日本テレビのスポーツ番組『どんまい!

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