梨田監督の辞任を受けて、6月17日の対阪神戦(楽天生命パーク)から一軍ヘッド兼打撃コーチの平石洋介が監督代行に就任した。38歳での一軍監督代行就任は、歴代の一軍監督および代行経験者を含めても球団最年少であった。また、楽天生え抜きの人物がそのまま一軍を指揮するのは監督代行としての平石が初めてである。, チームでは、梨田の監督辞任と平石の監督代行就任に伴って一軍コーチ陣の配置転換も実施された。投手コーチではベンチ担当(佐藤義則)とブルペン担当(森山良二)の配置を入れ替えた。また、2018年5月の一軍復帰後から一塁ベースコーチを務めていた真喜志一軍内野守備走塁コーチがヘッドコーチ格で平石監督代行をサポート。この年から一軍戦略・内野コーチが務めていた塩川が、一塁のベースコーチに回っている(平石以外の首脳陣は肩書を変更せず)。, 平石の監督代行就任後は、交流戦の残り2試合に全勝。交流戦開幕投手の古川も、6月19日の最終戦(横浜での対横浜DeNA戦)で白星を挙げたことによって、交流戦を一軍公式戦初勝利からの3連勝で締めくくった。しかし、チームは交流戦を最下位(全18試合で6勝12敗)という成績で終了した。リーグ戦の再開直後には、パ・リーグの球団で唯一勝率が5割を下回る事態に見舞われたものの、6月29日には菊池が先発した対西武戦(メットライフドーム)に15 - 1というスコアで大勝。レギュラーシーズンでは2016年5月25日から続いていた菊池の先発試合での連敗を13で食い止めた。, 7月には、山形市総合スポーツセンター野球場(きらやかスタジアム)で初めてのNPB一軍公式戦として、10日の対オリックス戦を主催。前年まで他球場で実施されていた山形県内での一軍主催公式戦8試合目にして、初勝利を挙げた。また、オールスターゲームでは、岸が選手間投票1位、平石の監督代行就任を境に4番打者へ定着した今江が監督推薦でパシフィック・リーグ選抜チームに参加。前年のレギュラーシーズン3位を受けて梨田が務める予定だった同チームのコーチを平石が引き継いだほか、14日の第2戦(リブワーク藤崎台球場)には岸が同チームの先発投手として登板した。9月1日には、星野副会長の逝去以降事実上空席だった編成部門のトップとして石井一久が球団取締役ゼネラルマネジャー(GM)に就任。10月5日の対ロッテ戦(楽天生命パーク)の前に、平石監督代行が2019年シーズンから一軍監督へ正式に就任することを発表した。しかし、この試合に敗れたことで、5位ロッテと1ゲーム差まで詰めたがチーム3年振りの最下位が確定した。オリックスとロッテには勝ち越しており、西武戦(6勝19敗)と交流戦(6勝12敗)で大きく負け越したことが響くことになった。, なお、この年のチームは梨田の監督在任中からホームゲームにとりわけ弱く、シーズン通算で球団最多の50敗を記録。地方開催分を含むホームゲーム(72試合)の通算勝率は.306(22勝50敗)だが、本拠地・楽天生命パークの開催分では69試合で.290(20勝49敗)にとどまった。パ・リーグに加盟する球団で、本拠地開催分の一軍公式戦におけるレギュラーシーズンの通算勝率が3割を切った事例は、1961年の近鉄(日生球場で.267=16勝44敗)以来57年振り。セ・リーグを含めても、1965年のサンケイスワローズ(神宮球場で.292)以来の低さであった。その一方で、ビジターゲーム(通算71試合)では36勝32敗3分と勝ち越している[109]。, 投手陣では、則本が5年連続5回目のリーグ最多奪三振を記録。さらに、チームのシーズン最終戦であった10月13日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)に救援登板でシーズン10勝目を挙げたことによって、入団以来6年連続のシーズン2桁勝利(NPB史上4人目の記録)を達成した。また、岸がチーム最多の11勝を挙げるとともに、防御率2.72でリーグ最優秀防御率のタイトルを初めて獲得した。松井裕樹は自身の不調やチーム事情からシーズン中にセットアッパーや先発への転向を経験しつつも、9月16日の対ロッテ戦(ZOZOマリン)で一軍公式戦通算100セーブを史上最年少(22歳10ヶ月)で達成した。さらに、入団2年目の高梨が球団最多記録のシーズン70試合登板を記録した。野手陣では、高梨と同期入団(2年目)ながら、パ・リーグ新人王の選考資格を残していた田中和基がセ・パ交流戦の直前から正中堅手に定着。チーム生え抜きの野手としては歴代最多の一軍公式戦シーズン18本塁打を記録したことや、パ・リーグの最終規定打席に到達したことを背景に、スイッチヒッターとしてはリーグ史上初(チームからは田中将大・則本に次いで3人目)の新人王に選ばれた。後半戦に一軍へ定着した内田も、高卒の生え抜き野手および、生え抜きの右打者としては初めての2桁本塁打(12本塁打)を放っている。もっとも、前年のチームの躍進を支えた外国人野手は総じて低調。アマダーは7月だけで11本塁打を記録したが、NPBから禁止薬物摂取の嫌疑を掛けられた影響で、8月中旬以降実戦から遠ざかった。さらに、新加入のディクソンも、その穴を埋めるまでの活躍に至らなかった。, シーズン終了後には、二軍を中心に、コーチ陣の大幅な入れ替えを敢行。シーズン中に二軍投手コーチを務めた与田剛が古巣・中日の一軍監督に転身したほか、二軍監督として田中のブレイクに寄与した池山、二軍ヘッドコーチの大石知宜などが契約の更新を見送られた[110]。その一方で、この年に他球団で現役を引退した平石と同世代の小谷野栄一・後藤武敏が打撃コーチへ就任するとともに、石井GMが現役投手時代に所属していたヤクルト出身の指導者(伊藤智仁・三木肇・楽天のOBでもある野村克則)などを招聘。2016年1月の現役引退後に球団職員へ転じていた元・選手会長の鉄平が、二軍外野守備走塁コーチとして現場復帰を果たした。他球団との指名重複による抽選が相次いだドラフト会議の1巡目では、2回目に指名した辰己涼介(立命館大学)への独占交渉権を4球団競合の末に獲得。結局、辰己や則本の実弟(則本佳樹)など(育成選手契約者を含めて)10人もの新人選手が入団した。その一方で、聖澤諒・枡田慎太郎・伊志嶺忠が戦力外通告を受けたことを機に現役を引退[111]。球団からコーチへの就任を打診されていた細川や、育成選手契約で戦力外通告を受けた宮川将は、いずれも他球団で現役生活を続けることになった(細川はロッテ、宮川は前年の片山に続いてコーチ兼任で埼玉武蔵ヒートベアーズへ入団)。さらに、この年限りでマリナーズを退団した岩隈に復帰を打診したが、巨人との争奪戦に敗れた。, チームスローガンは、「RESTART! 日本一の東北へ」。本拠地の楽天生命パーク宮城では、一・二軍の主催公式戦開催日に、場内の売店・チケットカウンターでの決済を現金以外の手段に統一する(プロ野球球団の本拠地球場では世界初の「完全キャッシュレス化」)。また、前年まで私設応援団が作曲していた応援歌に著作権上の問題が生じたことから、球団と私設応援団の間で応援歌の扱いを協議。上記の問題が解決された応援歌に限って、前年からの継続使用が認められた[112]。, 補強面では、前年のパ・リーグ打点王で、シーズン終了後に西武から国内FA権の行使を表明していた浅村栄斗を獲得した。また、仙台育英高校やヤクルトで剛速球投手として活躍していた由規を、育成選手として契約(7月28日付で支配下選手登録)。由規とは高校での1年後輩に当たる橋本到が巨人との金銭トレード、広島の福井優也が菊池保則との交換トレードで入団した。外国人選手については、ウィーラー以外の外国人野手とコラレスが退団。その一方で、右投手のアラン・ブセニッツや、右の長距離打者ジャバリ・ブラッシュを獲得した。育成面では、三軍の創設を視野に、実戦経験を増やしながら若手選手の育成や故障者の復帰を促す環境を整備することを石井GMが計画。シーズン中の6月には、この年に支配下登録選手から育成選手に移行させた下妻貴寛捕手と野元浩輝投手を、1ヶ月限定ながらBCリーグの武蔵球団へ派遣した[113]。, 春季キャンプでは、ルイス・ヒメネス内野手が入団テストに参加。テストへの合格後に育成契約を締結したうえで、3月のオープン戦期間中に支配下選手として登録した。キャンプ終了後の3月上旬には、チームが台湾でLamigoモンキーズ(中華職業棒球大聯盟に加盟するプロ野球球団)との2連戦に臨んだ。, その一方で、この年から正式に捕手へ復帰した岡島が春季キャンプ中に左肩、球団との間で7年契約を結んだ則本昂大が3月中旬に右肘の手術を受けた。則本昂大についてはレギュラーシーズン中の実戦復帰が難しい状況にあったため、DeNAの右投手・熊原健人(仙台大学出身)を開幕の直前に濱矢廣大との交換トレードで獲得した。岸が移籍後初めて開幕投手を務めたが怪我をして長期離脱になるなど、先発投手が足りなくなるアクシデントがあったが、それでも一軍は、38歳の平石による指揮の下で開幕ダッシュに成功。開幕11試合目に当たる4月29日の対西武戦(メットライフドーム)では、シーズン初の単独首位に立った。公式戦の開幕から10試合以上経過した時点での単独首位は、チームとしては2017年8月14日以来2シーズン振り、NPB球団の30代監督としては1981年の武上四郎(ヤクルトスワローズ)以来38年ぶり、パ・リーグ球団の30代監督としては1976年の上田利治(阪急ブレーブス、いずれも当時39歳)以来43年ぶりであった[114]。さらに、4月20日の対オリックス戦(楽天生命パーク)に勝利したことによって、一軍公式戦における球団通算900勝を達成した[115]。, 5月には、8日の対ソフトバンク戦で球団史上初めて、最大7点差からの逆転勝利をマーク。15日の対日本ハム戦(いずれも楽天生命パーク)でも、4回裏まで0 - 8のスコアで大差を付けられながら、延長11回の末に9 - 8のスコアで逆転サヨナラ勝利を収めた。パ・リーグの公式戦において、同じ月に同じ球団が7点以上のビハインドからの逆転勝利を2度以上記録した事例は、この月の楽天が初めてである[116]。, パ・リーグの首位で迎えたセ・パ交流戦では、6月15日の対広島戦(楽天生命パーク)で1試合7本塁打のチーム新記録を達成[117]。NPBの一軍公式戦では初めて、外野のスタメンを新人の3選手(辰己涼介・渡邊佳明・小郷裕哉)だけで賄う[118]などの積極的な采配も背景に、前年から一転して勝ち越し(10勝8敗)で終えた。しかし、交流戦優勝のソフトバンクにリーグ首位の座を明け渡すと、交流戦の終盤からリーグ戦再開後の7月上旬まで10連敗を喫した。, リーグ戦再開後に右の長距離打者を補強するため下水流昂を三好匠との交換トレードで広島から、和田恋を古川侑利との交換トレードで巨人から相次いで獲得。7月9日の対オリックス戦(山形)では、則本昂大が先発投手としてシーズン初登板を果たすとともに、交流戦終盤からのチームの連敗を10で阻止した。一軍は、8月に「月間4度の5時間試合」というNPBのチーム記録を達成するほど熱戦を続けた末に、ロッテとの3位争いを僅差で制して2年振りにクライマックスシリーズへ進出。二軍も、三木新監督の下で、球団史上初めてのイースタン・リーグ優勝を果たした。なお、8月31日の同リーグ・対西武戦では、当時二軍で調整中だったオコエが(一軍を含めて)球団史上初の公式戦サイクルヒットを達成している。, 一軍のレギュラーシーズンでは、則本昂大が後半戦だけで5勝を挙げたものの、入団1年目から続けていたシーズン2桁勝利が6年でストップ。開幕投手の岸も故障が相次いだ影響で3勝にとどまったが、前年に一時育成契約を結んでいた入団4年目の石橋良太が先発陣へ定着すると、美馬と並んで8勝を記録した。しかしチーム内に2桁勝利を挙げた投手はおらず、最も多く白星を稼いだ投手は、シーズンの大半で先発陣の一角を担った辛島航(9勝)であった。救援陣では、クローザーへ返り咲いた松井裕樹がパ・リーグおよび自己最多の38セーブをマーク。また、シーズン中に右肩の手術を受けた福山に代わって、ブセニッツと森原がセットアッパーとして好成績を残した。打撃陣では、ブラッシュがチームの外国人選手としては歴代最多のシーズン33本塁打を放ったほか、浅村も西武時代の前年に続いて本塁打を30本台(33本)に乗せた。, クライマックスシリーズ(CS)では、レギュラーシーズンを2位で終えていたソフトバンクとのファーストステージに先勝。第2戦からの2連敗でファイナルステージへの進出には至らなかったものの、この試合からポストシーズン10連勝で日本シリーズ3連覇を成し遂げたソフトバンクに、ポストシーズン唯一の黒星を付けた。もっとも、ソフトバンクに対しては、二軍もファーム日本選手権で後塵を拝している。, 新人選手時代の創設初年度から15シーズン連続で現場に携わっていた平石は、歴代の一軍監督で初めて、正式就任1年目でレギュラーシーズンのチーム最終勝率を5割以上に乗せた。しかし球団は、一軍がCSのファーストステージで敗退した直後に、二軍監督の三木が平石に代わって一軍監督へ就任することを発表した。平石の監督退任は契約期間(1年)の満了に伴う決定でもあったが、発表に際しては、「決定に至った経緯や、今後のチームに求められるビジョンをまとめた文書をGMの石井が公開する」という異例の対応も為された[119]。また、小谷野・森山・佐藤義則・高須のコーチ契約を解除したほか、宮城県内の高校出身の選手(橋本・今野龍太・西巻賢二)などに自由契約を通告。福山、燿飛、前年に開幕ローテーションの一角を担っていた池田隆英などが育成契約へ移行した。, 球団では、「二軍のGM」に相当する役職(二軍統括)を新設したうえで、同職の就任を平石に要請することも計画していた。しかし、平石は自身の意向で退団した[120]後に、ソフトバンクの一軍打撃兼野手総合コーチへ転身。さらに、平石を支えたコーチや、球団生え抜きの選手がチームを離れる事態も相次いだ。今野および、今江と同じく故障の影響で出場機会が減っていた嶋はヤクルトへ移籍。コーチ陣からは、森山がソフトバンク、小谷野がオリックス、二軍打撃コーチの栗原が中日のコーチへ転じている。, ドラフト会議では、1巡目で最初に指名した佐々木朗希(岩手県立大船渡高校投手)の独占交渉権を4球団競合の末に逃したものの、再指名で小深田大翔(大阪ガス内野手)の交渉権を獲得。育成選手契約者を含めて、11人もの新人選手が入団した。その一方で、今江、橋本、球団生え抜きの戸村健次・西宮悠介両投手が現役を引退。今江は育成コーチ、戸村と西宮は打撃投手として球団に残った。, チームスローガンは「NOW or NEVER いまこそ 日本一の東北へ」で、前年に二軍で三木を支えたコーチ陣から、野村克則・鉄平・小山・塩川が一軍へ異動。与田の下で中日の一軍内野守備走塁コーチを務めていた奈良原浩を二軍監督、前年に現役を引退したばかりの館山昌平をヤクルトから二軍投手コーチ、地元・東北学院大学出身の星孝典を西武から二軍バッテリーコーチに招聘した。また、開幕前からの故障でシーズンの中盤以降を棒に振ったチーム最年長選手の渡辺直人を、球団史上初の選手兼任コーチ(内野手兼一軍打撃コーチ)へ起用。永井と牧田が現役引退後初めて二軍のコーチとして現場に復帰したほか、前年までロッテ球団の特別職(スペシャルアシスタント)に就いていた同球団OBの大村三郎を、二軍統括職に相当する役職(ファームディレクター)に迎えた[121]。, 補強面では、前年の11月中旬から1ヶ月ほどの間に、ロッテから楽天へ3名、楽天からロッテへ4名の選手が交換トレードを介さずに移籍した。楽天からは、美馬が国内FA権の行使によって移籍したことを皮切りに、球団から育成契約への移行を打診されていた西巻と、外国人枠(一軍へ同時に登録できる外国人選手を4名までに限るNPBの規定)などとの兼ね合いで自由契約になっていたハーマンもロッテへ移った。ロッテからは、FA権を行使することを表明していた鈴木大地内野手を獲得したほか、西武時代から主に先発投手として活躍してきた涌井秀章が金銭トレードで移籍。鈴木の獲得に伴う人的補償(プロテクト枠から外れた保有選手1名の譲渡)措置で小野郁が移籍する一方で、美馬のロッテ入団に伴う同措置で酒居知史が加入した。楽天から人的補償措置で他球団へ移籍した選手は、小野が初めてである。, その一方で、前年までクローザーを務めた松井が先発に復帰することから、救援での起用に対応できる投手をMLBから補強。2018年までサンディエゴ・パドレスに所属していた元西武の牧田和久や、前年までロサンゼルス・ドジャースに所属していたジョン・トーマス・シャギワ(いずれも右投手)を獲得した。外国人野手では、ウィーラーとブラッシュが残留したことに加えて、オリックスで前年まで3シーズンにわたって打線の主軸を担ってきたステフェン・ロメロ外野手が春季キャンプ中に入団した。, 親会社の楽天は、台湾の靴メーカーLa Newが保有していたLamigoモンキーズ全株式を、前年の9月に取得[122]。2020年シーズンから、Lamigoモンキーズを楽天モンキーズに改称したうえで、東北楽天ゴールデンイーグルスとともに保有する。楽天が日本と台湾でプロ野球の球団を同じ時期に保有することについては、NPB(日本野球機構)から「日本国内における複数球団の保有を禁止している野球協約に抵触しない」との見解が出されている[123]。, 春季キャンプ中の2月11日には、チームの第2代監督→名誉監督で、ヤクルト監督時代に石井・伊藤智仁・三木などを育てた野村克也(克則の実父)が、虚血性心不全によって84歳で永眠。球団では、翌12日から15日まで楽天生命パークに献花台を設けるなど、野村への弔意を示している。, この年は春季キャンプの直前(1月下旬)から新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕が6月19日にまで延期。楽天野球団もその影響で、延期中の4月にチーム全体の活動を一時休止していた。また、NPBではレギュラーシーズンの終了時期を例年より遅い11月上旬、シーズン中における新規の選手獲得・支配下登録の期限を9月30日に設定する一方で、一軍公式戦の試合数を例年の143試合から120試合に削減。クライマックスシリーズ(CS)については、パ・リーグのみの開催で、レギュラーシーズンの優勝チームと2位チームが11月下旬の日本シリーズ進出権を争う方式に変更された。さらに、一軍の公式戦で同時にベンチへ入れる外国人選手の上限を4名に据え置く一方で、外国人枠の上限を5名に拡大。(日本人選手を含めた)出場登録選手総数の上限も29名から31名、同時にベンチ入りが可能な選手総数の上限も25名から26名に増やした。また、楽天では一軍の主催公式戦を、本拠地の楽天生命パークでのみ実施している。, レギュラーシーズンに入ってからは、鈴木大地・ロメロ・小深田が加わった打線がチームの開幕ダッシュに大きく貢献。新人選手からは、小深田に加えて、慶應義塾大学から入団した津留﨑大成投手も開幕から長らく一軍の救援陣に入っていた。その一方で、チーム事情などから開幕一軍入りを逃していたウィーラーが6月25日に左投手・池田駿との交換、高梨が7月14日に右投手・高田萌生との交換によって巨人に相次いで移籍。逆に、シーズン特例による新規契約期限の前日(9月29日)には、巨人から田中貴也捕手を金銭トレードで獲得している。, 一軍はレギュラーシーズンの前半まで、ソフトバンク・ロッテとの三つ巴で首位争いを展開。7月21日の対オリックス戦では、8回表の途中から中断した末に、濃霧によるコールドゲームが成立した(NPBの一軍公式戦では20年振り5回目)。さらに、9月10日の対ソフトバンク戦(18:00開始)は、雨天による2度の中断をはさんで23:38に終了。中断時間の合計は1時間32分(1回目37分・2回目55分)で、パ・リーグの公式戦では史上8番目の長さ(1970年以降の公式戦では最長)だった[124]。もっとも、先発陣では松井と岸、救援陣ではシャギワが不振。ブラッシュおよび、松井に代わるクローザーとして開幕から好投を続けていた森原は故障、開幕から涌井と共に先発陣を支えてきた則本昂大は試合中のアクシデント(転倒による右手の負傷)で戦線を離脱した(則本は9月から復帰)。このような事態が続いた影響で、8月下旬に3位へ転落してからは失速。開幕からコーチ職に事実上専念していた渡辺直人が現役引退を表明した9月には、この年に広島へ入団したばかりのD.J.ジョンソン投手を金銭トレードで獲得したほか、福山を支配下登録選手に復帰させた。ジョンソンが移籍後、福山が支配下復帰後初めて登板した同月22日の対ロッテ戦で、一軍公式戦における球団通算1000勝を達成[125]。シーズン終盤の10月以降は松井も救援要員に戻したが、一軍はこの年のNPB全球団で最も多くの逆転負けを喫したあげく、シーズンを4位で終えた。, その一方で、鈴木大地がパ・リーグ5位の打率.295、ロメロが24本塁打、牧田和久が52試合(チーム最多およびリーグ3位の登板数)で防御率2.16を記録するなど、NPB他球団でのプレーを経験している移籍組はおおむね好調。涌井はとりわけ好調で、シーズン初登板からの先発8連勝(プロ入り後自身最長)、2桁勝利(最初に入団した西武・移籍元のロッテ時代に続いて3球団目、パ・リーグ3球団のみでの達成は史上初)、千賀滉大・石川柊太(いずれもソフトバンク)と同じ11勝ながらリーグ最多勝利(西武時代にも2回・ロッテ時代にも1回達成、3球団での達成はNPB史上初)を相次いで記録した。また、開幕から4番打者を任されてきた浅村が、32本塁打で本塁打王のタイトルを初めて獲得。シーズン中盤から茂木に代わって正遊撃手に定着した小深田は、渡辺直人が保持してきた複数安打試合の球団新人最多記録を33試合に更新したほか、パ・リーグ6位の打率.288を記録した。さらに、二軍は奈良原の下でイースタン・リーグ2連覇を達成したばかりか、球団史上初めてファーム日本選手権を制している。, なお、レギュラーシーズン終盤の10月26日に開かれたドラフト会議の1巡目では、早稲田大学の左投手・早川隆久に対する独占交渉権を、GMの石井が他の3球団との指名重複の末に抽選で獲得。

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