【円形校舎物語9】 円形校舎の誕生

戦後、学校施設の戦災からの復興が進まなかったことや、急激な子供の増加により、校舎の不足が深刻化していました。また、各地で応急的に建設された粗悪な設計・施工の木造校舎が台風のたびに被災するなどの問題も起こっていました。

 文部省はこうした状況を受け、鉄筋コンクリート造校舎の基準作成に取り組み始め、東京都では西戸山小学校がモデル校として指定され、研究が進められます。

 坂本はこの作業に関わり、この時、これまで学校建築では一度もなかった円形の校舎を提案しました。

 坂本の案は、円形校舎2棟を矩形(くけい)の体育館で連結する、いわゆる眼鏡型の円形校舎だったのですが、奇抜すぎるとして取り上げられず、昭和25年(1950年)にまとめられた校舎の標準設計では、南側に教室が並び北側に廊下のある矩形の建物が採用されました。

 その坂本が実際に円形校舎に取り組んだのが、昭和27年、大成建設在職時に石川県金沢市にある金城高校(現 遊学館高校)の設計でした。

 ただ、この時も坂本が当初提案した眼鏡型の円形校舎の設計が実施段階で変更され、単独型の円形校舎(昭和30年完成)となってしまい、坂本にとっては不本意な結果に終わったようです。

 その後、坂本は昭和29年(1934年)に独立し、同じ年に円形校舎の実質的第1作目となる東京都練馬区の富士見中学高校の円形校舎を発表し、世間の注目を浴びることになります。

195303 金城高等学校<遊学館高校>2 金沢市(坂本鹿名夫)

金城高校(現 遊学館高校)で実現したかった眼鏡型の円形校舎の原型模型

えん結びプロジェクト

旧明倫小学校円形校舎の保存活用を望む会
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