【円形校舎物語7】 円形にこだわった建築家 坂本鹿名夫

坂本鹿名夫は、明治44年(1911年)7月21日東京で生まれました。

鹿名夫という風変わりな名前は、父親が知事を務めた鹿児島県と市長を務めた名古屋からとられたそうです。ちなみに永井荷風は従兄、高見順は異母兄にあたります。

東京工業大学建築学科卒業後、昭和12年に大成建設に就職しました。戦時中の海軍技術将校を経て、昭和29年1月大成建設を退職し、坂本鹿名夫建築研究所を設立しました。

東京工業大学の卒業研究でも円形の飛行場を設計するなど、円形建築にこだわり、その経済性、合理性を主張し、円形校舎、円形病院など全国に100以上の円形建築を手がけていきました。


坂本鹿名夫肖像

【円形校舎物語6】 昭和30年の円形校舎 解体されてしまったもの

昭和30年に設計した11の円形校舎のうち、解体されてしまったもの6つを紹介します。

▼ 北九州市
富野中学校(当時は第二菊陵中学校) S30.3設計・S30.11完成 S50解体

195503 第二菊陵中学校<富野中学校>1 北九州市(坂本鹿名夫)
 「昭和35年小倉の町並み」

▼ 岡山市
中央中学校(当時は旭中学校) S30.4設計・S30.10完成 H18解体
195504 旭中学校<中央中学校>1 岡山市(坂本鹿名夫)
 「さようなら 「円筒校舎」 発掘調査がはじまります」

▼ 西宮市
今津中学校 S30.4設計
195504 今津中学校1 西宮市(坂本鹿名夫)
 (画像のリンクが無くなってました)

▼ 東京杉並区
佼成学園(立正交成学園男子部) S30.5設計 S30.12完成 
195505 立正交成学園男子部1 東京都(坂本鹿名夫)
 (画像のリンクが無くなってました)

▼ 熊本市
熊本国府高等学校(熊本女子商業高等学校) S30.9設計 S31.6完成 S56解体
195510 熊本女子商業高等学校1 熊本市(坂本鹿名夫)
 「熊本国府高等学校同窓会 玉泉会のホームページ」

▼ 温泉町 
温泉小学校 S30.12設計 H19解体
195512 温泉小学校1 新温泉町(坂本鹿名夫)
 「青春のかけら -半ズボンのポッケ-」

【円形校舎物語5】 昭和30年の円形校舎 まだまだ現存・現役

坂本鹿名夫は昭和30年に11の円形校舎を設計しましたが、そのうち現存しているものが5つあります。
そのうち、旧明倫小学校・浜井場小学校以外の校舎を紹介します。

▼神戸市
美野丘小学校(当時は摩耶小学校分校)
S30.4設計・S31.1完成 現役
195504 摩耶小学校分校<美野丘小学校>1 神戸市(坂本鹿名夫)

▼最近の様子
195504 摩耶小学校分校<美野丘小学校>3 神戸市(坂本鹿名夫)



▼奈良市
学校法人帝塚山学園帝塚山中学校高等学校6号館(左側)
S30.6設計・S31完成 現役
195506 帝塚山学園第1期<左側>1 奈良市(坂本鹿名夫)
<坂本鹿名夫作品集 円形建築>

最近の様子→ひろの東奔西走!?

▼ 武蔵野市
学校法人日本赤十字学園
S30.11設計 現存
195511 武蔵野赤十字高等看護学院1 武蔵野市(坂本鹿名夫)
<坂本鹿名夫作品集 円形建築>

最近の様子 → アクトデザイン凛太郎のブログ

【円形校舎物語4】 今でも現役 飯田市浜井場小学校 S30~現役

浜井場小学校円形校舎

昭和30年に坂本鹿名夫は11の円形校舎を設計します。
その30年の作品の中で倉吉の旧明倫小学校円形校舎の次の作品が飯田市の浜井場小学校です。

浜井場小学校は、昭和30年3月設計、9月15日完成、9月20日竣工ということで、明倫小学校のほうがほんの少しですが早くできています。(旧明倫小学校は昭和30年2月設計、9月5日完成、9月8日竣工)

浜井場小学校 南信州新聞記事


確か平成17年に耐震調査を行ったとのことですが、補強は特に必要なかったようで、現在でも現役の校舎としてそのまま使われています。

えん結びプロジェクト

旧明倫小学校円形校舎の保存活用を望む会
〒682-0864
鳥取県倉吉市鍛冶町1丁目2825
「活動準備室ぼうし」内